昨年2月のこと。月曜朝の授業。 先週までいたノルウエーからのマリアンヌとイルバ、そしてドイツからのライナーは2週間コースだったのでもういない。新入生は月曜日はオリエンテーションとクラスわけ試験なので火曜日からだ。というわけで、今朝の生徒は3人だけだ。
先生のクリスチャンは、「Shinは、どうして帰るの?」とたずねた。私は、「Train
Bleu」と答えた。帰国便のエアチケットは、土曜日、CDG発だったので、金曜日の授業のあと、お別れディナーをしてパリまで寝台車に乗るつもりだった。
これが1時限め。2時限目めとの間のブレークに自宅へかけた電話で明日の帰国を決断した。残してきた妻が入院するという。翌火曜日、わたしはニース空港から涙を飲んでルフトハンザの人となった。
そう、ニースからパリ・リヨンへのTrain Bleuは2年がかりの計画なのだ。
さて、今年の3月31日の夜、ホテルに預けた荷物をピックアップして、駅へ。重い。今夜の国鉄・SNCFは異状なし。ホームで20:40のパリ行きを待つ。
始発かと思ったら、イタリアの国境の町Vantimille 発だった。 1番線に右から入ってくる。指定のコンパートメントへ。「ルームメート」は若い女性2人。
下のベッドを既に作っていた。わたしは一番不利な中段へ。狭い。二等の貧乏旅行だ。
すぐに発車。通路に出て、開かない窓の手すりによりかかり、左にすぎ去る景色を見る。さようなら、ニース。さようなら、カーニュ。オレンジにライトアップされたアンティーブの砦。水銀灯に照らされた港。まもなくアンティーブに停車。「Antibes,
Antibes, 3 minutes d'arret.」 去年はここから乗るはずだった。
何人かの乗客が乗り込む。発車。さようなら、「愛のAntibes」。きのう走った線路沿いの道路が見える。「愛のJuan-les-Pins」は速度をおとさずに通過。昨日いった
Golfe Juan のマリーナも右から左へ。そしてトンネルをすぎて、カンヌの駅。また何人か乗り込んでくる。
カンヌを出ればもう山の中。ベッドを作って寝よう。女車掌が検札に来たが、新しい乗客はなかった。彼女達はもう寝ていた。きっと、「東洋人のオジサン」を気味悪く思っただろう。
それにしても列車は速い。そして揺れない。エアサスがとてもよくきいている。この揺れは、飛行機の揺れだ。SNCF大好き。ストしなければもっと好き。
3度目に目をさまして時計を見ると、7:20ころだ。もうパリだ。外は薄暗く、小雨が降っている。雨は2週間前にリヨンを出て以来だ。だからパリは好きになれないんだ、と独り言。 |
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夜のJuan-les-Pins駅
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レラン島の明かりがみえる・・・
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