かつて、フランスの南部ではプロヴァンス語という、ポルトガル語に似たひびきをもつ言葉が話されていました。ところが、パリの政権がむりやり標準フランス語を強制して、プロヴァンス語を追い出したのです。
だから、いまでも南仏を通ってイベリア半島へ旅するイタリア人は、南仏で一旦解らなくなった言葉がスペインで通じるようになる、という「言葉の飛び地」ができてしまったわけ。フランス語は地理的には間にはさまれながら、イタリア語や、スペイン語にはあまり似ていないのです。
この、プロヴァンス語追放に反抗してフェリブリージュ運動をおこしたのが、「プロヴァンスの少女・ミレイユ」を書いたフレデリック・ミストラルだったのです。
ですから、いまでも南仏の人たちはパリに対して対抗意識を持っており、「パリは嫌い」、「パリはフランスではない」、「絶対住みたくない」など悪口しきりです。
リュベロン山中の村、Buoux のレストラン Auberge de la Lube の主、モーリスは、その晩はえらくカジュアルなかっこうで、シャツはズボンから出たまま。テレビで見たときはずいぶんめかしこんでいましたが。
モーリスの言葉にはすごい訛りがある。ぼんやり聞いているとイタリア語かと思うくらい。たとえば、bien
をビヤンではなく、ビエンという。
宴たけなわの頃、私が入ってから2つめの電話がかかってくる。Troisieme
surprise! (3つめのびっくり)とか言って電話をとる。そう、電話は客の食べているすぐそばにある。「ナタリー」からだった。ナタリーがだれだかは知らないが、とにかくtu(あんた)で話していた。
翌日、民宿の奥さんに「モーリスはイタリアからきたの?」とたずねてみた。こたえは、「それは、先祖はイタリアかもしれないけど、あの訛りはプロヴァンスのものよ」と教えてくれた。外国人の私に地元の訛りで話してくれる人がいなかったせいか、いままではプロヴァンス訛りに気付くことはなかった。思い出せば、映画「愛と宿命の泉」でもこの訛りだった。そのときもてっきりイタリア語のアクセントだとおもっていたのだが。
ちなみに、民宿の奥さんは モンプリエ 生まれ、パリ育ちなので、この訛りはありませんでした。 |
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プロヴァンス語の辞書。日常会話集も載っています。
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