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16 毎日たくさんの変化が 



ここにいると、1日にとてもたくさんのことが起きるような気がするのだけれど、どうしてだろうか。とにかく、非日常的で、変化にあふれている。

それは、判断する事がたくさんあって、その必然、偶然のつみかさねていろんなことが起きるからではないだろうか。

たとえば、 週末は、だれとどこへいくか。 月曜の午後は、だれとどこへいくか。 夕食はだれとどこで何を食べるか。   次の休憩時間はどうするか。

これらは、自分できめられること。 たとえば、休憩時間に r の発音ができないキャロルのところへ、白水社の教科書の口の断面図をみせながら、 「rの音はね、舌の先を舌のはぐきの裏につけてね......」 なんて、説明したりもしました。イギリス女性に発音を教えるなんて、ヒギンズ博士気取りです。 ちなみに、学校では、このような形での発音指導はありませんでした。

日本にいると、毎日毎日がきのうとおなじで、決断しなければならない事がすくないし、偶然で何かが起きる、ということもまずない。

偶然、のほうでは、 道でばったりクリストッフにであったばかりに、結果的にLa gloire de mon pereをもらったり、 海岸でフィリップにあったばかりに、1週間延長するように考えなおしたりして。

それから、あれは2週めの火曜日か水曜日の夕方。先生交代の件でめげた気持ちで、また海岸を歩いていると(というのは、夕日がもったいないので、ほぼ毎夕、海岸へいった。)、某外大の女性2人がベンチで夕日を見ている。 ごく自然に、「こんばんは。きれいですね。」なんて会話をして、(黙って通り過ぎるもの失礼でしょ?) 「そこでお茶でものみませんか。」とさそったりして、目の前の茶屋でクレープを食べたのでありました。

このガラスばりの茶屋からも、地中海と、カンヌの山に沈む夕日を堪能できます。 彼ら、彼女らは、毎晩7時半からいっしょに食事なので、それまでに帰ればよいというわけ。毎晩、おなじグループで食事とは、味気ないですよね。 彼女らも、「毎日毎日、ほんとにいろんな事が起きる」といってました。

ちょっとショックだったのが、彼らは、3食つきなのに、全行程の費用は、(条件をそろえて換算すると)わたしより10万円はやすくなっていました。どうも、学校との間で相当、団体割引をきかせたんでしょうね。でも、宿舎もクラスも食事もぜんぶ同じなかまというと、わざわざここまできた意義が半減しますよね。

さて、誓って、生まれてこのかた街で、女性をお茶にさそったりしたこと、ありませんでした。あれもこれも、コートダジュールのせい。