14 「なぜ」と「いかにして」
今回の研修にいたった経緯について聞かせて欲しい、というメイルをいただいたこともあり、若干長くなりますが、「なぜ」と「いかにして」について書いてみます。
=プロローグ= 93年の6月、業務出張で50日くらいアムステルダムに滞在しました。あるとき、パルセロナにある法人から、「来週の月曜日に商品のプレゼンをしてくれないか」といううれしい連絡が入りました。このような出張は、金曜か月曜でなければ意味がないわけであり. . . . . で、わたしは、土曜に空路パリへ行き、あとは陸路バルセロナへいくことにし、ちょうどジュネーブ発バルセロナ行きの直通急行が止る、という点からも途中、アヴィニヨンに1泊することにしました。パリからアヴィニヨンまでは、TGVです。わたしのアパートの部屋には旅行ガイド、地図、時刻表が散乱していたわけです。 土曜日の夜の7時半にアヴィニヨンにつくと、すでに i は閉まっており、赤いミシュランを片手に自分でホテルを見つけなければならない。 まず、電話をかけるには、テレカを買わなければ。「やや、市内にかけるときにも市外局番から押すのかな?」なんて思って、とおりがかりの少年に聞くが、かれは質問の意味がわからない。(彼にとっては、あたりまえとおもっていることを聞く訳だから) ま、苦労しながらも、何とか電話でホテルは予約できたと。 あとでその少年に「うまくいったかい?」なんて聞かれたりして。(なんと、ホテルは電話から100mしかはなれてなかった。) 翌朝、どうしようかな、とバスターミナルへ行って、適当な便があるという単純な理由で、 Fontaine de Vaucluse へ往復することにした。これは、なかなか良かったのですが、運転手に「午後の帰りの便の時刻はいかに?」という単純な質問がなかなか通じない。もし、列車に間に合わないとなるとおおごとだし。 =そのときの結論= 1 そこには、私が20年以上にわたって、頭に描きつづけてきたプロバンスそのものがあった。それは、青い空と、白い岩の山と、ヒマワリ、それから「アルル柄」の服を着た女性達であった。 2 しかしながら、その土地で動き回るには、わたしの語学力では不十分である。最低限の会話ができないと、楽しみが半減する。 3 出張の終わりにフレックス休暇を1週間予定しており、行き先の候補としては、ポルトガルか南仏を想定していた。しかし、このような言葉の問題から、急遽、スコットランドに変更した。結果的には、天候に恵まれなかったが(これがかえってスコットランド的なのかもしれないが)、良い旅行ができた。 =本文= しかし、帰国してからは、プロバンスに対する気持ちが募るばかり。 旅行の前には不便を感じない程度の語学力にしておきたい、ということと、休暇を願い出るとき、単に遊びにいくというより、「語学研修」の方がとおりが良かろう、という現実的な理由で、12月ころからその検討に入った。 (「地球」の)ジオクラブのパンフで下見をしてから、新橋の「留学情報センター」というところへ行って、情報を仕入れました。 説明によると、ジオクラブをとおして申し込むと、3万円の手数料がかかること、その他、申し込み期限やキャンセル料など面倒なことがあったので、その場で「自分でやっちゃえ」と、決断。 ラックに、おびただしい学校案内のファイルがあったので、南仏を重点的に閲覧。大体、地名をみれば地図での場所がわかったので、エイヤで、2校をピックアップ、fax番号を手帳に書き移したのでした。選択の基準は、なるだけ暖かそうで、マイナーな町、ということでした。いたって安直です。 これで資料請求のfaxをいれ、送られてきたパンフを熟読してオプションなどを決め、新年早々、faxで申し込みました。2校のうちからの絞り込みは、単に「寮」がある、ということでした。 請求書が送られてきて、あとは郵便局から払い込み、という「通信販売」の要領でした。以上、すべて英語で足ります。 なお、もう一人の日本からの参加者、トモコがどうして申し込んだかは聞きそびれたが、彼女は「日仏には案内があった」といってました。 =エピローグ= 他の参加者は、個人ではありましたが、ほとんど旅行代理店経由で申し込んでいました。ヨーロッパの旅行代理店には、この種の学校のパンフがいっぱいあるそうです。「これは素晴らしい学校だ」といった前評判を聞いてきた人はいないようでした。 わたしが2月という閑散月をねらった理由は以下のようです。 1 授業料が安い。 このうち、ハズレだったのは5番だけでした。(2週めから、某外語大の団体がきた) 「番外」については、帰国したら上司が交代することになっていました。 |