16 リオ編
私は古いフォードの助手席に乗り、パーイ(お父さん)の運転する車は豪雨の ハイウエイを走ります。パーイの友人がテレサポリスという高原の町にすんで おり、お正月はそこに集まる、ということで私も(有無を言わさず)同行する 事になったのです。 元旦にも関わらず、雨の中、郊外の道路ばたを歩いている人の多いこと。 それともう一つ、とにかくバスがたくさん走っている! これは、鉄道が未発 達な証拠でもあるのですよね。好奇心の強い私は、ポルトガル語の標識を見な がら「あれはどういう意味?」と聞きまくるのでした 途中のサービスエリアではじめて「本物のポンデケージョ」を食べました。ポ ンデケージョは、チーズパンという意味です。おいしかった。そして、2年ほど まえ、日本のブラジルスーパーで粉を買って自分で作ったものがそれほど外れ ていなかったことを確認した次第でした。それと、肉団子の類がおいしいです ね。各種ある肉団子はHさんの好物でもありました。 2時間以上走ったあとに着いたのが未舗装のどろどろな道路に面した農家のお屋 敷。蒸し暑かったのがすっかり涼しくなります。コロニアル風といって、屋根だ けある縁側みたいなものがついています。そこには、トロピカルな花が咲いてお り、映画で見る「南方戦線の参謀本部」の様相です。まさに高温多湿な地方向き の構造ですね。大きくないけど、がっしりした作りの、多分、典型的な農場主の お屋敷なのでしょう。ただ、この程度の大きさの農場はファゼンタとは言わない そうです。 大雨で川は増水して畑にあふれ、家の前の道路はどべどべです。狭い谷あいに 廃虚やバラックのような住宅などが展開しています。でも、人は多く、雑貨屋、 歯医者、検問所、自動車修理屋、レストランを見つけました。基本的に農村な のでしょうが、平たい土地がありません。「広いブラジルなのに、なんでこん なに不利な山あいに住でいるの?」という感じ。 このお宅は、農場経営をしていたのですが、最近リタイアして、日本人仲間と ゲートボールや釣り、そしてマージャンが楽しみの悠々自適の生活だそうです。 そうそう、日本の年金が円でもらえるので、物価の安いブラジルではありがたい、 ということでした。 ここに何人かの一世の方が集まり、お食事。日本人といってもこちらが長いので、 料理はかなりブラジル化しています。おーい、そんなでかい肉を食べるのか? って感じです。 皆さん、とても気さくで愉快な方ばかりで、笑いが絶えません。パナマ運河です れちがった船に日の丸がついていて感激した、とかアマゾンに入植したときの苦 労話をご当人から 聞けるのは貴重な経験でした。皆さん、ある時期にアマゾンからリオに出てきて、 そこの日系の造船会社で働くうちに知り合ったようです。ところが、この造船会 社が引き上げたので、何万人という人が職を失い、苦労することになったそうで す。ええ、IHIとかいう会社のことです。 そうそう、あとは、ポルトガル語とスペイン語の似ていて違っている話や、ブラ ジル内での方言の話など、録音して記録したい衝動にかられました。なぜ魚のこ とをペッシュと言って、「さかな」とは言わないか、などはここで聞いた話なの でした。 皆さんは徹夜でマージャンですが、わたしは屋根裏部屋に上がって寝かせてもら いました。強度の時差ボケ。だって、時差13時間だもの。 |
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