<Gordeで> Luberon地方の鷹巣村、Gordeは比較的大きくて「地球」にも載っております。
Luberonにしてはめずらしく急な斜面の上に位置しており、村からは平野がよく見渡せます。そして、アプローチ道路の最後の部分から村全体がみわたせるようにもなっています。
教会の前の広場も本当の「広場」らしくなっており、放射状に道が発しています。ここが町の中心で、ギャラリーやみやげ物店もならんでいます。
ぶらぶらしていると、相当年配のご婦人が(そう、おばあさんと言うべきかも)、私に英語で話し掛けてきたのです。「英語が話せますか?」と。
こういう年配の人が、英語でわたしに何の用だろう、とちょっと当惑してしまった。でも、話を聞くうちに、「自分はその下の薬局へ行きたいが手を貸してくれないか」というわけでした。
まったく気が付かなかったのですが、広場から薬局へのほんの20mほどの石畳の下りが急すぎてこのおばあさんの足では危険なのです。
やっと飲み込めた私は、「もちろんなんでもないことですよ」と腕を貸してあげました。薬局の玄関では、しきりとお礼をいわれて握手してくれました。この町に住んでいるのだそうです。
でも、このおばあさん、どうして地元の人ではなく、一目で外国人とわかるわたしに頼んだのだろう。不思議な経験でした。
<Cavaillonで>
かつて、スコットランドをドライブしたとき、年配の男性のヒッチハイカーをのせたことがあったのです。地元の人で、パースの病院に父親を見舞ってきて、帰るところだ、といういうのです。いろいろ身の上話を聞きましたが、感謝してもらえたということもあって、よい記憶となって残っているのです。ですから、異国で手をあげて
いる「地元の人」はなるべくのせてあげよう、と考えておりました。
その時、私はアルルからLuberonに向かって、Cavaillonの町に差し掛かっておりました。プロヴァンスの12ヶ月にもよく登場する大きな町です。そしたら、ほとんど高校生の女の子が2人手を上げていたのです。さっそく止ったわたし。
「どこ行くの?」
「Robion」
「それ、どこ?」と地図を出す私。なるほど、途上にある。
「じゃ、乗ってちょうだい。」と私。
「だけどねえ、私は道がよくわからないから、ちゃんと教えてちょうだいね。」
と、頼んでおく。そう、ナビゲータをやってもらおう、という魂胆である。
なにせ、こういう場合、乗せるほうが優位である。乗せられるほうには、運転者を選ぶ権利はない。後の祭りだ(・・;)。
それから、下手なフランス語の会話の相手もね。日本ではなかなかこういう機会はないもん。
「Robionに住んでいるの」
「そう」
「何しにCavaillonへ来たの?」
「買い物」 (でも、何も買っていなかった。)
「どうして来たの?」
「おばが車で乗せてくれた」
なんて、初歩の会話の練習を。
2人は家に帰って: 「Cavaillonから、変な東洋人のおじさんの車に乗せてもらったんだよ。」
「知らない人の車に乗るんじゃないよ。何事もなかったろうね。」 「うん、大丈夫だった。その人、日本から来ていて、カタコトのフランス語話したんだよ。」
なんて、会話を夕食でしてたかもね。
<Niceで>
ニース空港のホテルにチェックインしたあと、日本から到着する同行者を空港に迎えにいかなくてはならない。フロントへ行って、シャトルを出してくれるように頼む。
いつ車を出して欲しいのか、という下りで今一つフランス語がよく通じない。原因は、もちろん私のフランス語力なのだが、もうひとつ、運転手らしき人が見当たらない事なのだ。
「おかしいなあ、運転手はどこに潜んでいるのだろう?」と思っていると、フロントの女性が「私についてきなさい」という。
えっ、あなたが運転手するの? とびっくり。ホテルの送迎シャトルには何回ものったことあるけど、女性だったことは一度もない。レンタカー会社のシャトルではめずらしくなかったが。多分、荷物の積み下ろしが力仕事だからであろう。
それに、驚いたのは、彼女、スラックスではなく、タイトなスカートなのだ。それが、エスティマなんかよりも2回りも大きなバンを運転するのだ。アメリカの女性は、大柄で日本男児より力持ちだけど、フランスの女性は普通サイズだ。ま、それなりに、無事運転して、空港に着いた。
途中、またフランス語の会話の練習をする。
「ニソワーズ(ニースの女)ですか?」
「いいえ、生まれは少し北の方です。だけど、ニースが好きで、ここで働いているのです。」
「そうよねえ、ニースはいい町だもんねえ。」
などなど、他愛ない会話でした・・・ |